気が楽な論文の書き方

最近ちょっとずつだけど,以前よりも論文を書くことに苦手意識を感じなくなってきた.
別に書いた論文を誰かに褒められたとか,トップカンファレンスに通ったとかではないので論文の質が上がっているわけではないのだろうけど,論文を書くときに感じる精神的負担はずいぶんと軽くなってきたように思う.なぜか.ちょっと考えてみた.

以前は1つの文を書くのに何度も書きなおしていた.

世の中の一般の人はどうだかは知らないが,僕は文章を書くことに相当な苦手意識を感じていた.書いても書いても正しい文章になっている気がせずに,ちょっと書いては直して,またちょっと書いては直してを繰り返していた.そうやって書いているうちに嫌気が差してきて,結局納得のいかない文章を書きなぐって…というのが定番だった.とにかく書くことでエネルギーを消費し尽くしている感じだった.

まずはひと通り書いたという安心感を得ること.

最近は,まず文章の出来や内容の過不足は全く考えずに,とりあえず論文を書き出したら最後まで書きすすめることを第一に優先するようにしている.書いている途中で,ここは足りないとか,ここはくどいとか,語彙が統一されていないところなんかもみえてくるけど,とりあえず放っておいて最後まで書き上げる.
こうやって,ぐちゃぐちゃでもまず最後までやり通すと,とりあえずゴールの見通しが立ってぐっと気持ちが楽になる.

この気持ちが楽になるというのが僕にとっては相当重要なことらしいというのが最近分かってきた.気持ちが楽になることで,書いている途中ではぐちゃぐちゃだと思っていたところでも,冷静に見直して修正することができるようになる.

感覚的には,初めに論文をまずひと通り書くのは,息継ぎせずに泳ぎ続けるのと似ている気がする.その後の修正は,体力勝負というよりは盆栽いじりというか.とにかく質が違うものだと思う.

しょせん理系の文章だし..

これは開き直りってことなのかもしれない.けれど,要するにちょっとくらい文章に癖があろうが日本語がまずかろうが,大事なのは書いてある中身なんだって思えるようになった.もちろん悪文のために大事な中身が伝わらないこともあるのだろうけど,それよりも説明しなければならないトピックがまるまる抜けてたりとか,論理展開がおかしかったりとか,より中身に近いところのほうに原因があることが多い気がする.

瞑想

Amazonで瞑想の本を買った.

始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)

始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)

結構前にMindパフォーマンスHacksを読んだときから瞑想には興味は持っていたので,特に唐突ってわけでもないんだけれど,最近体調を整えることの重要さを実感する.

例えば今日はGWあけで10日ぶりに出社したわけだけど,明らかに体が軽いし,頭もいつもの数倍働く.最近でもまだ徹夜に近いぎりぎりまで詰めて仕事をすることがたまにあるけど,高いパフォーマンスを出したいなら,睡眠時間を削るのは間違っているとはっきり感じる.

こうやって考え方が変わっていくのは経験を積んできたからだと思いたいけど,もしかしたら単純に年をとって疲れやすくなっただけなのかも.

さて,体力的にはまだ貯金が残っているので,今日ももう少し頑張ろう.

英語とコミュニケーション力.それだけ?

久しぶりに書いてみる.ひとつ前の記事の日付を見たら去年のGWだった.
いつもGWはヒマを持て余しているってことなんだろうか.

少し前から,日本は本格的なグローバル化の時代を迎えるといった論調の話をよく耳にする.
面白いのは,多少のバリエーションはあれど,だいたい話の流れが以下のようにほとんど
同じなことだ.

  1. 日本は少子高齢化が進み,今後市場が縮小する.
  2. 縮小した市場を相手にしているとジリ貧なため,企業は海外進出を進める必要がある.
  3. 海外進出するにあたり,日本人には英語力を含むコミュニケーション力が必要となる.

分かりやすいストーリだし,さまざまな人が同じことを言うのは,それが明白なことだからなのかもしれない.しかし,あまりうまく言えないけど,もっと別の案がないのだろうか,と思う.確かに語学ができるに越したことはないのは分かるけれども.

SKKを使っている人にGoogle日本語入力への乗り換えを勧めてみる.

大学の研究室ではじめてLinuxに触れてから今まで,日本語入力にはSKK(Simple Kana to Kanji conversion program)を使い続けていた.SKKは非常に癖の強い入力方式だけど,クロスプラットフォームで動作し,また変換モードからユーザ辞書登録モードへのシームレスな遷移など,慣れたら離れられなくなる魅力をもっていると思う.

そんなSKKをもう5年近く使い続けてきたけど,最近になってGoogle日本語入力に乗り換えた.以前にも乗り換えを検討して,そのときは確かショートカットの設定が面倒か何かの理由でSKKに戻ってきたんだけど,改めて真面目に乗り換えを行ってみると,これが思ってたより全然しっくりくる.ので,自分と同じようにSKK使いだけどちょっと他のIMEに乗り換えてみようって考えている人に乗り換えを勧める理由を列挙してみた.マニアックだ.

SKKのほうが遅い

SKKの入力方法は特殊だ.初めて使う人はどうしてこんな面倒なことしなくちゃいけないのって思って,すぐに元のMS-IMEなりことえりに帰っていくんだと思う.けど,SKKを使い込んでいくうちに独特の入力方法に慣れて,普通のIMEで文字を入力するのとあまりかわらないスピードで文字入力ができるようになる.けど,スムーズに入力できるようになったと考えていても,やはりSKKのほうが文字の区切りを考えたり,シフトキーと他のキーの同時押しが必要だったりで,文字入力にかける負担は大きい.

以前,タイピングアプリで普通のIMEを使っている人二人(自分と業種や経験はほぼ同じくらい)と競争してみたところ,明らかに僕だけタイピングのスピードが遅かった.もちろん単なる器用さの差だって言えなくもないけど,最近Google日本語入力をつかっていると,以前よりも入力速度が早くなったように思う.

SKKだと単語単位に思考が限定され,スムースな文書になりにくい.

これもまた主観的な記述だが,僕はGoogle日本語入力に乗り換えてから以前よりもスムーズに文書が書けるようになったと思う.よく,話し言葉と書き言葉とは違って,話すように書くというのは正しい表現じゃないといわれるが,人が文書を書くときには,ある程度は口でしゃべるような一定の長さのフレーズを考えて,それを文書に起こしているのだと思う.SKKは単語ごとに入力して確定していくという仕組み上,どうもその文書の区切りが必要以上に細かな単位になってしまっているような気がしてならない.単語ごとに文書を組み立てていくため,一息にえいやっと文書を書いてしまうことができず,結果として,できた文書は妙に単語ごとにごつごつした,スムーズさが足りない文書になっていたような気がする.いや,そういって書いている今の文書もじゅうぶんよみにくい自覚はあるのだけど,それでもあとから読み直したときに感じる不自然さが減ったと思う.

小指のだるさが軽減される

SKKEmacsで使っていると,左手小指の利用頻度がハンパなくなる.結果として小指の筋力がついてめでたしめでたしって話でもいいんだけど,やっぱり長文を打つようになるとどんどん手がだるくなってきてしんどい.普段使っているキーボードはHappy Hacking Keyboard ProとApple Wireless Keyboardで,どっちもキーボードとそこそこいいものだと思うけど,長時間使っていると同じ症状がでる.小指は消耗品です.

Google日本語入力クロスプラットフォーム

これまでもATOKはWin, OSX, Linuxで動作したけど,フリーでクロスプラットフォームな日本語入力メソッドで,じゅうぶん実用的なものってなかなかなかったと思う.Google日本語入力は,Linuxでは使えないけどWinとMacで同じように使える.

じゅうぶんに高精度な日本語変換

SKKは入力時にかなの区切りをユーザに明示的に入力してもらうことで,高精度な変換ができる.今まで普通のIMEだとこの予測精度の高さは得られないものだと思い込んでたけど,Google日本語入力は今まで使っていて変換のお馬鹿さにイライラしたみたいな経験がほとんどない.ある技術が単純に以前よりもうまくやれるようになっただけで使い勝手が一変する,わかりやすい例だと思う.

↑←↓→〜

SKKを使っていて地味に便利で,SKK使いの自慢(だと思う)なのが↑←↓→〜(それぞれzj, zh, zk, zl, z-で変換).Google日本語入力ではデフォルトで実装されています.

How to Write a Lot

How to Write a Lot: A Practical Guide to Productive Academic Writing (LifeTools: Books for the General Public)

How to Write a Lot: A Practical Guide to Productive Academic Writing (LifeTools: Books for the General Public)

一般的な理系の学生なら,初めてまとまった量の文書を書くのは卒業研究のときじゃないだろうか.そして,その過程で文書を書いては直されてを繰り返して,書くことの難しさを肌で学ぶ.僕もそんな感じだったし,今でも文章を書くことは気の進まない,困難なタスクの一つである.いつも気が重いし,なかなか自分の思うようには書けない.



この本は,文書を書くことに対して苦手意識を持っている人に,どうすれば沢山文書が書けるようになるかを示す本である.「理科系の作文技術」,「The Elements of Style」などと同じ類の本であるということができるが,一点違うのは,この本がいかによい文書を書くかではなく,いかにして苦しい思いをせずに沢山文書をかけるようになるかを扱っていることだ.


一般的な作文技術の本は,書き手が文書を苦もなく書けることを前提として,そのうえでどのような点に気をつければ良い文書になるかについて述べている.一方,この本は「文書を書くことは難しい」ことを認めることから始まり,次に,書き物をする時間がないなどの物書きが進まない理由(として普通の人があげるもの)をいくつか取り上げ,それを克服して,ルーチンワークとして大量の文書を書けるようになる手法について述べている.


本で紹介している沢山書くための手法は至ってシンプルだ.毎日,書き物にあてる時間を例えば一日2時間と決めて,その時間になったら,あらかじめ決めたスケジュールにしたがってひたすら書く.それだけだ.筆者の場合,平日の朝8時〜10時を物書きの時間にあてている.そして,スケジュールを固守できるように,日々の取り組みを記録する,自分と同じように物書きに従事する人とグループを作って,互いに進捗のチェックを行うなどをやっているそうだ.


一通り読んで,僕ははじめて自分が必要としているものがわかったような気がした.僕はなにも素晴らしい文書を書けるようになりたかったわけではなく,ただ文書を書くときのあの苦しさを和らげたかっただけなんだと思う.作文に苦手意識をもっている多くの人も,同じような苦しさを感じているのではないだろうか.そして,この本の方法はその苦しさに対する有効な処方箋になると思う.


英語だが,それほど難しい表現はないし,主張も明快で読みやすい.まとまった量の文書を書く必要がある人で,物書きに苦手意識を感じている人は,一度手にしてみてはどうだろうか.


そのほか,印象に残った部分を列挙.

  • あなたが苦しんでいるように,あなたの論文をチェックしている大学の先生も作文に苦しんでいる.みんな正しい文書の書き方を学んだことがない.
  • 多く書くためにはスケジュールを守ればよいが,良い文章をかけるようになるには時間がかかる.
  • よい文書を書くためには,書くことと修正することを同時にやってはいけない.まず書いて,その後に修正しよう.
  • 論文を書くときには,まずはアウトラインを作ろう.何を書くべきかをわかっていない状態でかくことはできない.
  • 物書きは平日の決まった時間にやろう.週末は家族,友達,ペットのために使おう.

Scalaプログラミング入門

SCALAプログラミング入門

SCALAプログラミング入門

最近出た本.僕が買ったScala本はコップ本に次いでこれで2冊目.コップ本は網羅的で記述も丁寧な良書だと思うけど,いかんせん取り扱っている内容が膨大なため,Scalaを効率的に使うにはどこから手をつければよいか途方にくれるところがあった.なんとなくやれテンプレートだboostだ言ってるC++と近い気がする.


Scalaプログラミング入門はコップ本と比べると取り扱っている内容は絞られている.Scalaの中でもおいしい部分(アクターによる並列プログラミングやパターンマッチなど)に限定して,かつ具体的な使用方法中心に書かれているので,Scalaという言語の中での「歩き方」についての理解が深まると思う.僕の場合,型パラメータやアクターの利用方法は本書を読んで初めて理解できた気になった.


一方,この本が入門書として適しているかというと微妙な部分もある.確かにサンプルコードは豊富だけど,全般的に説明は省略気味なため置いてけぼりをくらうことが多い.僕はコップ本を読んだことがあるので省略されているところも補完しながら読むことができたけど,この本のみでScalaを習得しようとするとまだ難しいのではないかと.


少し話がそれるが,両Scala本ともにScalaのパーサコンビネータの説明に章を割いている.おそらくScalaの目玉機能の一つに位置づけられるんだろうけど,DSLってどういう場面で有用かがいまいちよく分からない.こういう場面でDSLを使うと便利だよ,っていう実践的な利用例を集めたDSLクックブック的なものがあるといいと思うんだけど,世の人は普通にDSLを使いこなしているんだろうか.もしDSLバリバリだって人がいたらどういうふうに使っているか教えてほしい.

Googleの悪夢?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100501-00000005-cnn-int

はじめはどのあたりがGoogleの悪夢なのかよくわからなかったけど,つまりはWebページのランキング方法として,Googleがやっているようなリンクに基づく方法と,Likeボタンによる方法とだとどちらがよいかってことなんだと理解した.*1


確かに,ソーシャルの利用はGoogleもまだうまくいっていない部分だと思うし,Likeボタン利用でどのようなランキングが出てくるのかは興味がある.しかし,Web全体の検索という問題を考えた場合,果たしてすべてのWebページをランキングするのに十分な量のソーシャルリンクが集まるのかという点には疑問が残る.検索対象のカバレッジという点でFacebookGoogleに並ぶことは難しいのではないだろうか.


もしかしたらLikeボタンが爆発的に普及したら十分な量のデータが集まる可能性があるのかもしれない.けれども,Likeボタンがどの程度使われるのかという点についてもまだ怪しい点があると思う.そもそも,Likeボタンはどのような場面で使われるものなのだろうか.上の記事を読んだ限りでは,あるページの更新を知ることができる機能とあったが,更新が知りたいWebサイトなんて,ニュースサイトか一部のブログくらいじゃないだろうか.はてブのホットエントリーは見ても,みんなそのサイトの更新情報を知りたいと思うわけではないだろう.はてブがある種の投票システムとしても機能していて,利用者もそのことを知っていて利用しているように,Likeボタンについてもそれがどのように使われうるものなのかがわかってくるとまた話が違ってくるのかもしれない.


いずれにしてもFacebookの影響力がどんどん大きくなっているのを感じる.僕ももっと積極的につかってみるべきだと思う.けど,あれってひとりで使ってても面白くないんだよなあ..

*1:みんなが検索エンジンを使わなくなることが悪夢だと言っている可能性もあるかもしれないが,それは現状ありえないシナリオだと思う.Webを使って情報を探すときに,ブラウザの検索窓以上に身近なインタフェースは今のところ存在しない.